富山大学人文学部案内2018
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【富山大学人文学部の沿革】【学部長あいさつ】HISTORY1875年(明治8年)1893年(明治26年)1923年(大正12年)1924年(大正13年)1944年(昭和19年)1949年(昭和24年)1953年(昭和28年)1977年(昭和52年)1986年(昭和61年)2004年(平成16年)2005年(平成17年) 富山大学人文学部には、伝統的、基礎的な哲学、歴史、文学に関わる分野のほか、現代社会の諸問題を扱う社会学や国際関係論、学際領域である国際文化論などがあり、また同程度の規模の人文学系学部には比較的珍しい心理学、考古学、文化人類学、人文地理学、朝鮮言語文化、ロシア言語文化などの分野もあり、多様な選択肢が用意されています。1年次は教養教育科目と基礎的な専門科目を学びながら、進みたい分野を模索し、2年次からは、学びたい分野で、本格的な専門教育を受けることができますし、幅広い視点で学際的な学び方をすることも可能です。 人文学部はまた、異文化理解・異文化交流を教育研究の柱として、中国・台湾・韓国・ロシア・アメリカ・フランス等の大学および研究機関と交流協定を結び、積極的に学生の海外派遣や留学生受け入れを推進して、国際化の時代に活躍が期待できる人材を育成しています。 少人数・対話型の充実した教育により、学生の学修を支援し、社会人としての自立をサポートします。 人文学部長磯部祐子馬場はる像ヘルン文庫旧制富山高等学校 全景。現在では取り壊され、馬場記念公園(富山市蓮町)となっている。コンビニ「TULIP」にはベーカリーもあり、焼き立てのパンが人気です。MESSAGE富山大学 人文学部案内 2018 富山大学人文学部の歴史は、大正12年(1923年)の県立富山高等学校(旧制)設立に始まります。当時の富山県では高等教育の機会が極めて限られていました。旧制富山高等学校は、高等教育機関の充実を望む県民の強い希望と、富山県上新川郡東岩瀬町(現・富山市東岩瀬町)の素封家・馬場はる氏(1886年-1971年)からの多額の寄付により、創設されました。 戦後、昭和24年(1946年)に新制国立大学が発足すると、旧制富山高等学校は富山大学文理学部として継承されます。その後、昭和28年(1953年)には経済学部が文理学部から独立し、昭和52年(1977年)には文理学部が人文学部と理学部に改組され、現在に至ります。 富山大学中央図書館には、『怪談』で有名なラフカディオ・ハーン(小泉八雲:1850-1904年)の蔵書が、「ヘルン文庫」として保管されています。これは、旧制富山高等学校の初代校長となる南日恒太郎(1871-1928年)が、ハーンの遺族が蔵書の一括譲渡先を探していることを知り、馬場はる氏の出資を仰いで購入したものです。「ヘルン文庫」は、大正13年(1924年)に開校記念として馬場家から富山高等学校に寄付されました。学生支援センターや就職・キャリア支援センター、コンビニやATMも設置された学生会館。新川県師範学校発足(教育学部の前身)共立富山薬学校(私立)発足(薬学部の前身)富山高等学校(県立)発足(人文学部・理学部の前身)高岡高等商業学校発足(経済学部の前身)高岡工業専門学校発足(工学部の前身)国立学校設置法により富山大学発足(文理学部、教育学部、薬学部、工学部)経済学部設置(文理学部より独立)人文学部、理学部設置(文理学部を改組)大学院人文科学研究科設置国立大学法人法の規定により国立大学法人となる富山大学、富山医科薬科大学及び高岡短期大学を再編・統合し、富山大学となる芸術文化学部設置人間発達科学部設置(教育学部改組)和漢医薬学総合研究所設置(和漢薬研究所改組)学生支援センター、キャリアサポートセンター、アドミッションセンター、地域医療支援センター、地域づくり・文化支援センター設置2富山大学人文学部の歴史と今

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