富山大学芸術文化学部案内
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近世近代美術史(西洋・日本)、工芸史、デザイン史、博物館学水辺野外活動、スポーツ社会史、健康教育文化財科学、金属材料学、金属材料加工学鋳造技術史、作品の造形と制作技術美学、芸術哲学、環境美学、環境芸術論風景学、風景観光論、世界遺産学民族音楽学、民俗芸能研究、伝統文化論英文学東洋美術史、日本美術史(古代~中世)、博物館学西洋美術史、近現代美術論、アート・マネジメント1234大熊 敏之 教授立浪 勝 教授長柄 毅一 教授三船 温尚 教授伊東 多佳子 准教授奥  敬一 准教授島添 貴美子 准教授深谷 公宣 准教授三宮 千佳 講師松田 愛 講師おおくま としゆきたちなみ まさるながえ たけかずみふね はるひさいとう たかこおく ひろかずしまぞえ きみこふかや きみのりさんのみや ちかまつだ あい文化資源を活用したまちづくりで名高い長野県小布施町。そこは、栗と北斎の町である。そして、江戸の浮世絵師「葛飾北斎」を自宅に招き支援したのが高井鴻山である。鴻山は、芸術以外にも多様な学問分野に精通し、知的な文化サロンを開くことで人を育て、町を育んできた。こうした精神性は、現在の小布施における地域メセナにも受け継がれており、歴史的な連続性は下図で窺い知ることができよう。そこには、「文化創造と交流の場の創出」という共通項があり、現代における文化のまちづくりに活かされているのである。小布施における地域メセナ̶高井鴻山の時代からの継承̶県内最多の13基の曳山を所持する新湊曳山まつりは、それぞれの曳山に特徴があることと同様に曳山囃子にも町ごとに特徴を持つ。しかし、少子高齢化などの影響により、現在は後継者の不足という問題を抱えている。しかし、山町の1つである東町では、過去に囃子方がいなくなった経験を踏まえ、指導方法などを工夫し、町全体で後継者の育成に努めている。また、町の若い囃子方は小学校のお囃子クラブで曳山囃子を習い、早くから囃子方の戦力として活躍している。祭の伝統を守るため、町や学校が協力し、地域を挙げての後継者育成が必要ではないだろうか。新湊曳山の山町東町の囃子方の歴史と継承̶囃子方の後継者不足問題と育成̶現代の化粧法では、眉は女性の顔全体の印象を決定づける役割を担っている。そして、このことは、近代日本の美人画での顔の描写にも当てはまることである。事実、美人画での眉の重要性について、上村松園は「美人画を描く上でも、いちばんむつかしいのはこの眉」と述べている。これは、現実の世界でも歴史的には、眉が女性の身分や年齢、未婚既婚、さらには秘められた性格という基本的情報を示す重要な徴であり続けたことに起因している。それゆえ美人画家は、近代にいたっても、眉を重要視せざるを得なかったと考えられるのである。美人画における眉の表現について19世紀ラファエル前派の画家、ジョン・エヴァレット・ミレイによる『オフィーリア』はシェイクスピアの戯曲『ハムレット』を題材に、少女オフィーリアの死を描いた作品である。そこでは本来恐怖をもたらすはずの死が美しく描かれている。女性の死の美的表現はなぜ可能だったのか。本論ではミレイの『オフィーリア』を手がかりに、「理想の女性像」とそこから逸脱した「新しい女」の登場によって大きく変わりゆくヴィクトリア調の女性像と関連付けながら、女性の死を描いた作品の魅力について考察した。西洋絵画における女性の死の表現̶ヴィクトリア調の女性像の変遷を中心に̶鏑木清方《薄雪》(部分)大正7(1917)年ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』1851年頃キャンヴァスに油彩、76.2cm×111.8cm、ロンドン、テイト・ブリテン「人を育てまちを育む精神」の継承図1.「西洋絵画における女性の死の表現―ヴィクトリア調の女性像の変遷を中心に―」永田玲/2.「美人画における眉の表現について」林朝海/3.「小布施における地域メセナ―高井鴻山の時代からの継承―」藤澤由佳/4.「新湊曳山の山町東町の囃子方の歴史と継承―囃子方の後継者不足問題と育成―」菅沼拓哉13

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