000000000000000000000000000000000000000第2章 医学部・附属病院 「臨床麻酔の手引」から読み解く 富山大学麻酔科学講座の発展ここに一冊の小冊子がある。手書き初版本は、富山医科薬科大学(現・富山大学)・医学部第1期生の臨床実習開始に合わせるべく、1981年(昭和56年)4月に発行された。当時助教授だった久世照五先生(後に金沢大学教授)が即席で書き上げた原稿を輪転機で複写し、医局員が徹夜で製本したと聞いている。即席とは言え、目次を見るとアウトラインは現行の手引書とほぼ同じで、すでに完成された内容であった。当時、新進気鋭の若手麻酔科医であった久世先生の慧眼が伺い知れよう。麻酔薬の項には、GOF(笑気/酸素/ハロタン)、NLA(NeuroLeptAnesthesia)、Liverpooltechnique(笑気/酸素/筋弛緩薬)など、かつて一世を風靡した麻酔法が列挙され、さながら麻酔科学の歴史書をひもといているようだ。ちなみに2代目教授・山崎光章先生も医学生時代にこの初版本で麻酔科学を学んだ。麻酔科学の黎明期、麻酔科医(特に若手麻酔科医)にとって脅威だったのは、喉頭鏡による気管挿管が困難な「気管挿管困難症」の存在であった。麻酔導入したはいいが、不幸にして気管挿管困難症にぶちあたった麻酔科医は、青い顔をしてマスク換気しながら上級医を呼んだものである。上級医による盲目的気管挿管が失敗に終わると、やれファイバースコープ挿管だ、気管切開だ、いや麻酔を醒まして撤退だと手術部全体を巻き込んだ大騒動となった。しかし21世紀になってテクノロジーが進歩すると、ビデオ喉頭鏡やエアウェイスコープⓇ等の気管挿管困難症に特化した挿管デバイスが綺羅星の如く開発され、若干のトレーニングを積めば若手麻酔科医でも気管挿管困難症の挿管がこなせるようになった。臨床麻酔の手引第8版には「絶対入る気管挿管」と称してエアウェイスコープⓇ操作法のページが割かれ、動画サイ臨床麻酔の手引の初版(左)と第12版(右)の表紙 。四十余年にわたって発行し続けている超ロングセラーである。初版を手書きしたのは、故・久世照五 助教授(後に金沢大学教授)である。トともリンクしていたので、若手麻酔科医の気管挿管上達に大いに貢献した。「将来、点滴から酸素を投与できるようになる。」これは久世先生がよく口にしていた予言である。CVCI(換気不能、挿管不能)などの予期せぬ低酸素血症の危険が生じても「酸素入り点滴持ってきて!」で事足りる。その頃研修医だった私は、そんな選択肢があれば確かに便利であるが、酸素入り点滴なんてものが実用化されるのは相当先の夢物語だろうと高を括っていた。しかし考えてみると、ECMO(膜型人工肺)はまさに「血管から酸素を投与している」わけで、人工心肺装置を小型化して全身管理に応用するというテクノロジーの進歩が、いつのまにか久世先生の予言を的中させている(臨床麻酔の手引第9版)。一方、若気の至りだった私は「揮発性オピオイドを開発すれば、麻酔科学はコペルニクス的転回を遂げます!」と言い放って久世先生を仰け反らせたものだった。リカバリー・ナースに向かって「煙みたいに体内からなくなるオピオイドがあれば、覚醒遅延を気にすることなく安全な麻酔ができるんだけどね」と理屈を捏ねてみたところで、これも夢物語だろうと私は思っていた。しかし体内からすぐになくなるオピオイドは、合成麻薬レミフェンタニルという形で現実のものとなった。揮発性ではなかったが、血中の非特異的エステラーゼで瞬時に分解されるという発想の転換が麻酔科学の進歩をもたらしたと言える(臨床麻酔の手引第10版)。先日、他大学で研修中の卒業生から「麻酔中に胃管がどうしても入らなかったので、臨床麻酔の手引第11版にある『絶対入る胃管』法を試したら、一発で入りました」という便りをもらった。夜を徹して輪転機を回し、臨床麻酔の手引を刷り上げた医学教育への情熱は今も失われることなく、富山大学の卒業生に受け継がれている。(廣田弘毅、髙澤知規)89で「臨床麻酔の手引(初版)」とある。本書は本学医学部学生の教育目的に、麻酔科学講座によって編纂されている小冊子である。本書を紐解くと、初代教授伊藤祐輔先生によって開設された富山大学麻酔科学講座が2代目教授山崎光章先生に引き継がれ、現教授高澤知規先生に至るまで、いかにして発展を遂げてきたか、その様子を垣間見ることができる(写真)。 麻酔科学講座
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