医学部50周年
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脳神経内科の沿革脳神経内科の診療教育と研究活動地域医療連携と関連病院1993年(平成5年)慶應義塾大学から髙嶋修太郎が第二内科へ助手として入局後、富山医科薬科大学での神経内科の診療、教育が第二内科内で開始された。その後2005年(平成17年)6月に慶應義塾大学から田中耕太郎が初代教授として着任し、独立した診療科として、神経内科の診療、教育、研究を開始した。同年、髙嶋が神経内科助教授、田口芳治が神経内科助教となり、道具伸浩医員を加えた4名のスタッフで教室がスタートし、2006年豊田、平野医員が加わり6名体制となった。2010年神経内科4人目の常勤ポストとして道具医員が助教となった。その後、2007年温井孝昌、2009年小西宏史、2010年吉田幸司、2012年林智宏、山本真守が入局し、2012年には8名のスタッフと3名の診療指導医(外来応援医)で教室の運営にあたった。2016年(平成28年)3月田中教授が退官となり、同年12月に中辻裕司が大阪大学より第2代教授として着任。2017年髙嶋准教授がJCHO高岡ふしき病院院長として栄転し、温井が助教に昇任。開業、転勤で一旦6名となったが、2018年度には6年振りに待望の新入医局員穴田涼子が加入し、以降2019年松田憲幸、2020年廣澤宏昭、田中遼、2021年古田理佐子、前坂弘輝、三井太一、2022年髙澤秀平が入局した。准教授として2021~2022年馬場孝輔、2023年度からは中根俊成が加わり、2024年時点で13名で教室運営に当たっている。また標榜診療科名を2018年9月神経内科から脳神経内科へ変更した。この変更は脳・神経の疾患を内科的に診療し、脳神経外科との対比でわかりやすく、また神経精神科との混同を避ける効用がある。神経内科としての入院診療は2005年6月より東病棟5階に14床で開始、外来診療は7月より内科外来で2診察室で開始した。2016年神経内科病床は北2階病棟で20床で開始し、現在は18床で、脳神経外科と同じ病棟で協力しながら診療にあたっている。2010年富山大学附属病院が富山県の難病医療拠点病院に指定され、難病医療に携わる多くの病院と保健行政機関のネットワークが構築された。それに伴い神経難病患者数が増加している。毎朝新入院カンファレンスを行い症例提示と【スタッフ】(2024年8月時点)教授:中辻裕司、准教授・病棟医長:中根俊成 助教・医局長:温井孝昌、助教・外来医長:林 智宏、病院助教・教育医長:山本真守、病院特別助教・医員・大学院生等:渋谷涼子、松田憲幸、田中遼、廣澤宏昭、古田理佐子、前坂弘輝、三井太一、髙澤秀平、秘書:岸豊美診断治療方針のディスカッション後病棟回診を行い、迅速な診療開始に努めている。毎週金曜午後には教授回診とカンファレンスを行い、診療とともに、臨床実習の一環としても役立てている。4~5年のBSLは2週間当科で実習し、担当患者の診察、発表、外来見学を行う。5~6年生の選択実習は8週間診療チームの一員として診療し、最後に症例発表をしてもらっている。研究に関しては、田中教授の時代は脳血管障害の臨床研究が中心であり、2015年第27回日本脳循環代謝学会総会を富山で主催した。中辻教授の時代は神経免疫学的研究とバイオマーカーの探索的研究が中心となり、研究論文も増加しつつある。2024年第36回日本神経免疫学会学術集を富山で開催した。常勤医派遣先として2017年~JCHO高岡ふしき病院院長、2022年富山県リハビリテーション病院・こども支援センター脳神経内科医長、2023年~高岡市民病院脳神経内科部長としての3施設。それ以外の県内の富山病院、赤十字病院、済生会富山病院、富山市民病院、富山西総合病院、労災病院、かみいち総合病院、あさひ総合病院などには非常勤医を派遣している。(中辻裕司)132 脳神経内科

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