医学部50周年
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  今後の展望富山大学附属病院(旧 富山医科薬科大学附属病院)での救急科の歴史は比較的新しいとされています。以前の記録から、歴史を紐解いてみると「救急科」はもともと「救急部」であり、昭和61年(1986年)1月1日に院内措置として設置され、文部省での予算化を伴う省令での設置は昭和63年(1988年)5月25日と昭和まで遡ります。その後は救急部として、救急部教官1名(助教授相当教員)を中心として、運営がなされてきました。大きな転機となったのは2003年9月に医学部講座として、救急・災害医学講座の設置に伴い講座初代教授である奥寺敬教授が救急部長を併任することとなり、救急部としての発展を遂げることとなりました。その後2012年6月に救急部という名称を廃止し、「地域救命センター」という名称で病院内の中央診療施設として、救急医療を担当する部門が新設されました。主にER(EmergencyRoom:救急外来部門)に加えて、ECU(EmergencyCareUni:救命病棟部門)8床を整備したことが特徴です。同年8月には「地域救命センター」という名称を「災害・救命センター」と改名して現在に至っています。その名称の通り、県内外・院内外を問わず、救急医療・災害医療を対応する部門ということになります。2016年より、救急医療体制の組織の明確化を図るため、標榜診療科の一つとして、「救急科」が設置されることとなり、院内での救急医療診療体制がより強化されることとなりました。まだまだ新設診療科であり、救急科の歴史は浅いと言われる所以であります。その後、2023年3月より救急医学講座(旧救急・災害医学講座)2代目教授である土井智章が就任し、救急科科長と災害・救命センター長を併任して、現在に至っています。救急科は、救命救急医療に幅広く対応しており、内科系・外科系を問わず、また内因性疾患・外因性疾患を問わず、その守備範囲は広い診療科と評されます。救急科は、ERとECUの両部門を担当しており、救急外来診療のみならず、重症症例の集中治療医学も担当しているのもその特徴であり、守備範囲の広さを物語っています。救急科が主に担当する疾患は重症外傷、広範囲熱傷、中毒、敗血症など多岐にわたり、その臓器を問わず、救命を目指しています。特にECUでは人工呼吸器、急性血液浄化療法、ECMO(人工心肺)などを駆使して高度な集中治療管理を提供しています。富山大学附属病院の救急科の役割は、県内唯一の大学病院として、臨床・教育・研究という三本柱を充実させることであり、それが求められている医療機関です。富山県の救急医療の最後の砦としてより高度な救急医療をより迅速に提供することが求められていることと、地域救急医療体制の構築が大きな役割と言ってよいと考えます。地域救急医療体制は富山医療圏での二次輪番病院への参画は2004年から参加しており、地域の二次輪番制を支えています。また救命救急センターの認定は受けてはいませんが、県内のみならず、県外からも三次救急症例を積極的に受け入れており、三次救急病院としての役割も果たしています。当院は事実上、富山県内の三次救急病院の役割を担っていますが、今後は名実ともに救命救急センターの設置・認定を目指していきたい。またその後は、北陸初の高度救命救急センターの設置・認定を視野にいれ、救急科として、地域での救急医療における重要な役割を果たしていくことが使命と考えます。救急科長 土井 智章特命診療助手(病棟医長)川岸 利臣特命診療助手(医 局 長)渕上 貴正特命診療助手(外来医長)波多野智哉【スタッフ】(2024年9月現在)(土井智章)134 救急科

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