医学部50周年
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第1節富山大学関連病院長懇談会会長、糸魚川総合病院病院長   山岸 文範大学医学部設立50周年、誠におめでとうございます。この間、富山医科薬科大学、富山大学医学部は数多くの医学科、看護学科卒業生を世に送り出されました。また生命科学の真理に迫る基礎的研究、さらに県内はもとより北陸一帯や全国からの患者の要請に応じる臨床研究・技術開発を進められ、その発展ぶりは誠に目を見張るものがあります。同時に超高齢化社会に医療ニーズが移行するなか地域医療を意識できる学生・医師の育成を先進的におこなうなど全国的に評価される取り組みにも邁進されておられます。これは歴代医学部教授陣、それを支えた教室員、大学・病院職員の皆様の並々ならぬご努力のたまものであると、心よりお喜び申し上げる次第です。私自身は医学科5期生として学び、その後、大学職員としてまた関連病院において地域医療や医学生、研修医教育に参加しながら医学部の歴史を見てきました。この間、独立行政法人化、新臨床研修制度、合併統合、専門医制度といった変革が続いたこともあり、関係者にとっては50年といえどもあっという間であったと思います。あゆみを止めることなく迎えた半世紀目、この機会に次の半世紀を考えることができればと思います。富山大学医学部は、患者が増え医療供給が追い付かないという時代に、県民の切なる要請を受けて開設、長くその責を果たしてきました。しかし今より10年後には創立時と同じ総人口に戻ります。医療需要が当時のレベルにまで戻るのは高齢者が5倍に増えていることからまだ先でしょう。しかし止むことのない人口減少は医療を含む社会構造を変えます。今日よりも明日の利益や資本が減るという経済の中で資本主義はもちろん、それに関連する民主主義すら不安定化する可能性があります。社会が不安定化した時に何が起こるか。私たちはコロナ禍の中で経験しました。連帯が取り上げられた一方で、テレワークをしながら収入を維持できた人たちと、突然、明日から来なくていいと言われた臨時・派遣社員、彼らに代表される社会の階層化。県を跨ぐ移動制限下での他県ナンバーへの視線に現れた他者への差別。そのような不安定な社会が日常になるとしても医療者は知識・技術を持って人々と対話し、その生命と生活を守るという立場を変えるわけにはいきません。しかし大学をはじめとする医療機関は社会構造に伴って変化を求められます。医療は公益性の高い産業、代えがたい重要な社会基盤であり国が守ると理解されてきました。一方でそのような関係性は集約化を含む構造変化への道を開くことにもなります。それでも大学という存在は押しつけられる変化を、より良きものに造り変える力を持っているはずです。富山大学医学部として次の半世紀、社会が求める医療ニーズと自身の価値創造への希求との間にアイデンティティを見つけ、新たなビジョンを作成していただきたい。特に最近の医学部の発展を見ればアジア一帯から患者が訪れるような高度先進医療の成立が期待できるでしょう。同時に富山・新潟大学合同のポストコロナ時代の医療人材育成拠点形成事業による医学生教育、それは地域の人々との対話に価値を見出す医師づくりとして全国の医学部から注目されています。大学発の高度医療と地域医療人材は国を支える基盤であり、同時に富山大学医学部と関連病院との連帯の柱です。これからの50年、社会変化という大嵐の中であっても医学部建学の理念「里仁為美」を果たされていくことを期待してポール ヴァレリーの詩から次の言葉を贈ります。「風たちぬ いざいきめやも」100年前のヨーロッパでの戦争後、社会不安の中にあって書かれたこの一節は、太平洋戦争という嵐を前にして堀辰雄の小説を生み、そして現代、問題を抱える世界の克服をめざして宮崎駿が作った映画の主題としてよみがえっています。186風立ちぬ いざ関連団体

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