記念講演会ております。災害といえばもちろん、DMATです。特別な訓練を積んだ専門家のチームで、発災直後から活動し、瓦礫の下での医療を専門的に行います。一方、私たちJMATは特別なスキルを持っておりません。普通の診療所にいる普通の医師ですが、DMATの先生方、チームの方々が撤収する頃合いから現地に行きまして、そして地域医療、被災地の医療が回復するまでを中長期的に支援することを目標にしております。救護所や避難所の医療及び健康管理、避難所の公衆衛生、在宅患者の医療、医療支援が行き届いていないところはないか、空白地域がないかに気配りをしております。そのチーム編成は、医師を必ず含みますが柔軟に構成しており、医師1名、看護職員2名、業務調整員1名ないし2名、あとはその時々に応じて、様々な職種の方が行かれます。JMATが活動を開始したのは2011年の東日本大震災からです。このときには2763チーム派遣されております。その後、熊本地震、それから全国各地で最近起きている豪雨災害、そして令和6年能登半島地震では、1097チームが派遣されております。これは東日本大震災のときで、富山市医師会のチームが現地に行っております。日本医師会の方から中部地区は福島県に向かうよう指示があり、私たちはいわき市に向かいました。それから熊本地震の際には富山県は南阿蘇村に行くよう指示があり、行ってまいりました。阿蘇医療センターでは、説明を伺い現地に向かいます。写真のとおりテントが多いのは、余震がすごく多かったためです。このとき災害関連死が非常に多く発生したことが問題となり、DVTの予防や、感染症の予防について対応しておりました。 さて、令和6年能登半島地震です。先生方の中にも実際ご経験された方も多数いらっしゃると思いますが、24時間の震央分布をお示しします。図を見ていただくと、能登半島北部を舐めるように起きており、どれほどひどい災害だったかがわかります。そしてまた能登半島の根元の部分に富山県は位置するので、当初より富山県医師会JMATは氷見市を拠点とし、能登半島に向かっております。氷見市の次は七尾、その次は輪島と拠点を移しながら活動しました。また、能登半島地震と同じ場所、輪島や珠洲で9月には非常にひどい水害となりました。調べてみますと、過去には1948年にマグニチュード7の福井地震が発生し、その後わずか1ヶ月で豪雨災害に見舞われています。いたるところで土砂崩れ、土石流、堤防の決壊など、非常に深刻な複合災害が起きております。最近は地球温暖化の問題があり、複合災害は必ず来るものと思って準備が必要であると思いました。富山県でも多くの地域で震度5強の地震が発生したため、地震災害に対する危機感は非常に強く、JMAT派遣に対しても使命感を共有できましたし、なんとしてでも隣県を支援しなければいけないという気持ちを県医師会の方では強く持ちました。JMATは一隊目の編成に最も苦労しますが、そのようなときには富山県の中では、まず富山市、そして高岡市が派遣に手を挙げてくださり、その間に後続の体制を編成いたします。編成表のとおり、上から順に富山、高岡、富山、高岡、富山と来まして、そのあとは色とりどりでオール富山で、すべての郡市医師会の先生方から支援を受けJMATを派遣することができました(図1)。当初は皆さんご存じのように本当に道が悪く、倒木の恐れのある樹木や土砂崩れの恐れもあり、道路が寸断されているところが各所にございました。片道5時間以上はかかり、無事帰って来られ17(図1)
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