6.医師会活動 感染症対応7.医療を取り巻く厳しい状況記念講演会が、以前に比べると高止まりしている状況です。全国でこのような状況でしたので、私はこの頃富山市医師会理事をしておりましたが、富山でも初期救急が非常に危うい、崩壊の懸念がありました。その頃急患センターではなく救急医療センターという名称で初期救急を運営しておりましたが、検討して改善しなければならないと2006年から話し合いをし始めました。1973年に開設した当時の丸の内にある救急医療センターは、主に開業医が朝の6時まで一生懸命患者さんを診ておりました。しかしながら、レントゲンもなく、2次救急の先生方からは、軽症者の流入が2次救急に押し寄せて本来の診療ができず、救急医療センターは初期救急としての役割を果たしていないのではないかという非常に厳しいお言葉を受けました。そして時間帯にかかわらず発生する傷病者に医療を提供するには、やはり一般医療機関と2次、3次救急で分担していくしかありません。より多くの一般医療機関の先生に参加していただき、公平に分担していくことが必要と考え、新しい施設の立ち上げに向けて懸命に努力いたしました。この休日、夜間の患者さんはまず初期救急に来ていただいて、それから必要な人だけが2次救急に行く体制を絶対に守らなくてはいけないと取り組みました。2011年には富山市・医師会急患センターが富山市民病院に隣接して建築され、富山市民病院の機器を使わせてもらい常時X線やCTも取れるようになりました。現在富山県内の4医療圏では、それぞれ初期救急を担うセンターがあり、協力医は以前のように開業医だけではなく、大学病院の先生、地域の勤務医、地域の開業医が皆で担っているところでございます(図3)。ぜひ今後もご協力のほどお願いいたします。少しコロナのお話をさせていただきます。コロナのときには大学の山本先生、山城先生に司令塔となっていただき、非常にお世話になりました。私ども医師会が関わったのは、軽症者療養施設での検査や、PCRセンターでの検査、そしてワクチン接種です。前医師会長の馬瀬大助先生は当初医師会としては何もできないと忸怩たる思いでおられたのですが、県内の感染症指定病院が患者さんで溢れたときに、軽症療養施設を設けることとなり、そこから医師会は本格的に関わることができました。主に医師会執行部の役員がPCR検査のための研修に参加し、自衛隊にタイベックの着脱法を習いました。また誹謗中傷が激しかったため、できるだけ講演会や学校現場へ赴き、正しく恐れることへの提言を繰り返しておりました。医師会の活動としましては、他に産業医活動や在宅医療の推進、そして医師賠償責任保険、生涯教育eラーニングとともに、医学生や研修医などをサポートするための会などのサポート体制、そして最も重要なこととして医師会として現場の声を国や行政に届けることを一生懸命やっております。医療をとりまく環境は厳しく、高齢化によって、これからますます15歳から64歳の働き手が少なくなってまいります。この人手不足が医療に対してとても深刻な問題を起こしていると思います。また高齢化によって、要介護・要支援など人手や医療費もかかります。全体的に社会保障給付費は増えていますが、年金など福祉の部分には手をつけられないとなると、やはり国としては医療費を削減するしかないということです。この10年は税収も少しずつ増えていましたが、コロナも挟みまして歳出が格段に増えており、今年度の同時改定が行われた診療報酬改定も非常に厳しいものとなりました。昨年の11月から継続してマイナス改定だということを財政制度等審議会が主張し、毎日のように新聞に掲載されておりました。結果、本体部分はわずか0.88%のアップでしたが、2000年頃からは、全体像として長期にわたりマイ19(図3)
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