医学部50周年
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富山大学理事・副学長 (元医学部長)   北島  勲富山大学医学部創立50周年と富山大学統合20年の節目を迎えて随  想富山大学創立50周年誠におめでとうございます。私は医学部創立40周年事業を担当しました。あっという間の10年間という印象です。また、来年度は2005年4月に富山医科薬科大学が富山大学と統合されて20年の節目を迎えます。【過去】私は2000年9月に富山医科薬科大学臨床検査医学講座に赴任いたしました。故・高久晃学長から赴任挨拶時、「君は薩摩からですね。俺は会津だ。宜しくな。」と握手したことを昨日のように思い出します。高久先生には本当に親身に支えて頂きました。赴任後すぐに教務委員長を拝命し、モデルコアカリキュラム移行に伴う問題解決型学習(PBL)やチュートリアル教育導入の医学教育改革への対応を担当しました。とくに医学科長時には「国際基準に基づく医学教育分野別認証評価」受審が決まり、講義時間を削減し、基準とされる臨床実習72週を確保するための大幅なカリキュラム編成に奔走した日々が思い出されます。一方で 2010年頃は、低学年(とくに教養課程)の留年者が多数あり、専門課程における人数が年ごとに大きく変動するため教室スペースや基礎系実習に対する対応に苦労しました。進級判定をタイムリミット3月30日に臨時教授会を開催など綱渡りも経験しました。医学部50年間で最も大きな変革に、富山大学、高岡短期大学との3大学統合が挙げられるのではないかと思います。当時日本で唯一の医薬学大学である特色が薄まるのではという危惧もあり、連日、議論が続けられました。最終的に統合によるスケールメリットの期待を委ね2006年4月に3大学が統合されました。しかし、スケールメリットが感じられなかったという印象でした。また、教員数定員管理のためにポイント制が導入されました。医学部では、病院教員を加えることで医学部標準専任教員数を満たす最低基準での運用が決定しました。医学部長時代には、少ない教員数で教育の質をいかに担保するのか大変苦労しました。武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀……」が強く胸に刺さりました。【現在】2019年4月より齋藤滋学長の下、研究・産学連携・病院を担当しています。医学部・附属病院において、研究シーズの社会実装に関して、基礎医学から臨床研究への連携と臨床試験の強化とともに医師主導臨床治験を主管できる附属病院を目指しています。そのために臨床研究開発推進センターを開設しました。漢方薬に対する臨床治験を中心に臨床研究・臨床試験を強化してゆきたいと思っております。また、齋藤学長をリーダーに未病の科学的解明を進めています。医学部、薬学部、和漢医薬総合研究所に理学部数学科を加えた全学的組織として「未病研究センター」を立ち上げました。数理科学的解析による「未病」解明プロジェクトがJSTムーンショット領域2に採択され、大学統合による異分野連携研究が進められています。このような取り組みに対して、文科省の令和4年度「地域中核イノベーション創出環境強化事業」が採択(2年間)され、その実績が評価され令和6年度アワードを獲得し1年間延長が認められました。全国的にも統合したことによる成果が認められつつあるのではないかと感じております。【未来】富山大学では2040年に向けた大学ビジョンとして、「人生百年時代のクリーンな社会モデルを構築」を大目標に掲げ、「“人”と“地”の健康を科学する大学」を目指しています。わが国は確実に18歳人口が減少しています。その中でも地元高校生や働く世代、高齢者に対しても開かれた大学、さらに国際化に向けた外国人研究者や留学生にも選んでもらえる大学に改革の手を緩めることなく進めてゆく必要があります。富山大学発展には医学部の更なる協力体制が益々重要となります。皆様のご協力を何卒宜しく申し上げます。35

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