富山大学名誉教授 (元医学部長・附属病院長) 寺澤 捷年創立五十周年を心からお慶び申し上げます。Webサイトの航空写真で最近の杉谷キャンパスを拝見すると、私の奉職していた頃には想像も出来なかった充実ぶりで感無量です。私が富山医科薬科大学に赴任したのは1979年(34歳)の時であり、千葉大学に異動したのが2004年(60歳)でしたので、約25年間を医薬大で過ごさせて頂きました。私がこの大学に招かれたのは、大学の「建学の理念」すなわち「東西医学の融合統一と医学薬学の有機的連携」を具現化する臨床の場として附属病院に「和漢診療室」が設置されたからです。私は学生時代から「千葉大学東洋医学研究会」の一員として伝統的な漢方を継承すべく努力しており、東西医学の相互補完的な臨床こそが理想の医療であると確信しておりました。従って、医薬大は私の理想を実現する場となったのです。ところで、大学あるいは学部の運営にとって最も大切なことはその「理念」です。医薬大は東西医学の融合をめざしました。この建学の理念は初代学長の平松博先生と薬学部長であった山崎高應先生(後に学長)らの合議によって決められたものですが、この建学の理念を持って時の文部大臣・永井道雄先生に新設医科大学の早期実現を陳情したところ、「これは素晴らしい」と大臣が感服し、新設順位が3期目から2期目に繰り上がったのです。この経緯は山崎高應先生から直接伺った確かな話しです。そして医薬大の新病院が完成した折に、永井先生が「里仁為美」の揮毫を寄せて下さったのです。永井道雄先生は教育社会学者でしたが、三木武夫内閣で民間から抜擢されて文部大臣になった方です。ところで、誰もが明確に理解していない「杉谷キャンパス」の貴重な役割は、独立国日本の医学・薬学を形成する、言い換えれば、この国のアイデンティティーを主張する貴重な場なのです。約40年前のことですが、霞が関・厚生省の高官が「USAでは漢方など無くても医療が全うされている。漢方は医療保険でカバーするに値しない」という発言を私はこの耳でハッキリと聞きました。日本国がUSAの属国であるとか、合衆国の一州であるならばこの発言に何の問題も無いでしょうが、畏れ多くもこの日本国は天皇陛下を戴く独立国です。USAが押し付けてくる所謂グローバル・スタンダードは要素還元論を絶対視する思想です。従って、USAのFDA(食品医薬品管理局)は多数の化合物を含む生薬やその配合剤である漢方薬は医薬品とは認めないのです。他方、日本の医療は明治維新までは漢方が主体でした。そこで培った経験知は「心身一如」の複雑系の世界です。まさに日本国の文化遺産なのです。この文化を正面から取りあげて新設の医科薬科大学を創設しようという「理念」が永井道雄文部大臣から高い評価を得た理由なのです。現在公開されている富山大学のHPを見ると、医学部看護学科はその理念の一つに東西医学を掲げており、和漢医薬総合研究所はもとより薬学部においても東西医学の融合が記されています。しかし、医学部医学科はこれを記さず「里仁為美」(人間愛こそ美しい)を掲げているのは目標を曖昧にしているように私には思えます。創立五十周年を機会に「杉谷メディカルセンター」としての共通の理念を医薬大創設の初心に立ち戻り議論して頂きたいと切に希望します。この理念を実行することは、いわゆるグローバル・スタンダードとの闘いでもありますので、様々な困難を伴いますが、現在日本語に翻訳作業中のICD-11(第11改訂・国際疾病分類)には漢38富山大学医学部創立五十周年に寄せて─傘寿の思い─
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