医学部50周年
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富山大学名誉教授 (元理事・副学長・医学部長)   村口  篤光陰矢のごとしで、医学部40周年記念誌の発刊から早くも10年が経ちました。富山大学医学部は、昭和50年(1975年)10月1日に、1県1国立大学医学部設置という国策と富山県民の医療への熱い期待を背負い、西洋医薬学と和漢医薬学の融合を目指す「富山医科薬科大学医学部」として、呉羽丘陵に創設されました。「里仁為美」を人材育成の理念、「東西医学の融合」を教育・研究のミッションとし、個性輝く国立大学医学部として着実に発展し、10年毎にマイルストーンの「開学記念式典」を開催して記念誌を発刊し、今回が5回目になります。富山医科薬科大学医学部の大きな岐路は、平成17年(2005年)10月の富山県内3国立大学統合です。急激な人口減少による国立大学統合の波(全国の国立大学を半減するという国策)を受け、富山県も富山大学・富山医科薬科大学・高岡短期大学の3国立大学が1大学に統合されました。この時点で「富山医科薬科大学医学部」は「富山大学医学部」に名称が変わりまた。大学統合で新大学は9学部・病院・研究所を擁する日本海屈指のマンモス大学になりましたが、医学部は旧富山医科薬科大学医学部の教育・研究理念を継続し、「東西医学の融合」という異色性を発揮しながら世界に研究成果を発信し続けてきました。30周年記念誌と40周年記念誌を紐解くと、この10年間に富山医科薬科大学医学部に大きな研究のイノベーションがあったように思われます。特記すべきは、当時急進展していた生命科学研究に対応できる研究所・人材の育成です。実験動物センターは規模・研究内容ともに我が国のトップクラスになりました。生命科学実験センターおよび実験実習機器センターは4教授を置く生命科学先端研究センター(現在は生命科学先端研究支援ユニット)に発展拡充し、最終的に杉谷地区に「医薬イノベーションセンター」が設置されました。このセンターは、杉谷キャンパスの医学部・薬随  想学部・和漢医薬学総合研究所が連携し、グローバルなレジリエンスサイエンスの推進と医療関係の産学連携を図ることを目的として、平成26年12月に完成しました。富山市内を見下ろすことのできる5階建て(当初の計画では7階建て)の建物です。1階奥に当時最先端の建築様式(STS)で作られた320席を持つ講堂(日医工オーディトリアム)があり、講演会やシンポジウムに使われています。2階から5階は研究室で、東西医薬学の融合、免疫シングル細胞の遺伝子解析、脳神経科学の臨床応用、プレテオミクスの臨床応用など、「レジリエンス先端研究」を国内外に発信できる富山のシンボルになっています。ちなみに「レジリエンス」とは、「回復力、復元力」を意味する英語です。地球温暖化による異常気象、食糧危機、不安定な経済状況、終わりが見えない民族戦争、急激に進む少子高齢化など、人類の危機が叫ばれる中、大学は知を結集して多様で有能な人材を輩出し、人類の立ち直りに貢献しなければなりません。レジリエンスと言う言葉は、医学以外の分野においても、危機、ストレス、トラブルにうまく対処し立ち直ることができる「回復力」という意味で使われています。富山大学医学部は、これまでの50年間で医薬のレジリエンスサイエンスの創生を達成したポテンシャルのある学部です。その歴史に誇りを持つべきだと考えます。現在の若者は「Z世代の若者」と呼ばれています。今年のパリオリンピックでは、「新しいアーバンスポーツ」で、次世代の若者たちが生き生きと活躍しています。スマホで育ち、AIを駆使しながらたくましく育つ「Z世代の若者たち」が、医療の世界でどのように進化し活躍していくのかと思いを馳せると、怒涛のような不安と期待が混ざります。富山大学医学部では、「里仁為美」の理念を忘れずに、これまでの看板・歴史を誇りに思い、夢と希望に燃える医学者、臨床家をじっくり育成して頂きたいと祈念致します。41レジリエンスサイエンスのさらなる推進・深化を

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