医学部50周年
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富山大学名誉教授(元理事・副学長・附属病院長)   井上  博1992年12月から2015年3月までの在職期間中に様々なことがありました。国立大学法人化、三大学統合、病院再整備(南病棟ほか)、我が国初の6歳未満の幼児からの脳死下臓器提供などです。この臓器提供には病院長として関わりました。心臓移植は1967年に南アフリカで初めて行われ、我が国では翌1968年に札幌医大で行われました。大学に入学した年のことで、興味を持って報道に接していました。札幌医大での移植には様々な不審な点が存在することが次第に明らかとなり、脳死下での臓器移植に否定的な世論が形成されるに至りました。しかし心臓移植を必要とする患者は存在し、海外で移植を受けざるを得ませんでした。このような事態の解決を図るべく関係者が努力して、1992年に脳死臨調の最終答申(脳死を人の死と認める)がなされるに至りました。1997年臓器移植法が施行され、脳死下臓器移植がルール化されました。この法律では15歳未満はドナーになることが出来ませんでしたが、2010年に施行された改正臓器移植法では6歳未満の幼児もドナーになることが可能になりました。2012年6月上旬、総務課長から「6歳未満の幼児からの脳死下臓器提供の可能性がある」との報告を受けました。瑕疵なく作業を進めるように指示。判定作業、臓器摘出を完了することが出来ました。その後、五福キャンパス事務棟で記者会見を行いました。厚労省の関係者や移植コーディネーター等と予め想定問答集を作り準備しました。不適切な回答をして、幼児からの臓器提供の足を引っ張るようなことになっては申し訳が立ちません。また医療職は病院長一人という布陣で記者会見に臨みました。関係した職員が批判の対象になることは避けたいとの判断でした。会見では病院長が「具体的に十分把握していない」と答えることが多く、ドナーの両親が臓器移植を決断した経緯や病状の詳細は明らかにされていないと、マスコミからは批判されました。本学の例を嚆矢として、その後我が国で6歳未満の幼児からの脳死下臓器提供が行われています。1例目の臓器提供を巡って問題となった点や裏話を差支えのない範囲で記してみます。北陸地方で6歳未満の幼児の脳死下臓器提供がありそうだとの情報を得たマスコミは、北陸ならN大学かK大学であろうということで、両大学に照会しましたが、どうも違う。富山大学らしいということになったそうです(今から10年ほど前の世間の認識とはこのようなものでした)。たまたま開催されていた大学病院事務部長会議(?)に出席していた本学の部長の両隣(N大学とK大学)の部長の携帯に連絡がしきりに入っていたとのこと。個人情報の保護の面では両面性の問題がありました。1つは、脳死判定作業を進めるに当たり児童相談所への虐待の有無の確認の際でした。当初、個人情報に配慮し一般論として質問したため、「個人情報なので担当者では判断できない」と拒否されました。3日後に改めて名前と脳死下臓器提供の可能性を明かして照会し、虐待事例には該当しないとの回答を得ました。マスコミからは「虐待確認に手間取った」と指摘されました。当時、全国の自治体ではこの種の照会への対応には一定の基準は設けられてはいませんでしたが、この事案を受けて見直しをした自治体があったようです。2つ目は病院からの個人情報漏洩をどう防ぐかですが、2つの対応をとりました。1つはカルテのアクセス権の限定で、他はダミーカルテの作成とのこと(後者については具体的な内容不詳)。上手くいったと思いました。しかし、しば42我が国初の6歳未満の幼児からの脳死下臓器提供

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