医学部50周年
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第2章 医学部・附属病院歴代3教授の近影(2012年撮影)富山医科薬科大学脳神経外科学講座は1980年4月に開設され、東北大学から赴任した高久晃が初代教授に就任した。高久は「KleinaberMein(小さいけれど我が物なり)」を合言葉に講座を立ち上げ、後日、「眞白いキャンパスに思い切り自由に絵を描く、そのようなロマンに充ち溢れていた」と振り返っている。高久は1998年に学長に就任し、富山大学などとの統合再編に大いに尽力した。2015年12月にご逝去された。1999年、遠藤俊郎が二代目の教授に就任した。遠藤はわが国にいち早く頚動脈内膜剥離術を導入したフロンティアである。2009年に附属病院長、2011年には学長を歴任した。2012年、黒田敏が北海道大学から三代目の教授として赴任した。黒田は2015年から附属病院副病院長(診療担当)などを歴任している。2012年5月、講座開設30周年祝賀会を開催した。2020年、講座開設40周年を迎え、記念誌発刊などの事業を遂行した。現在、教室同門は70名を超えている.歴代の准教授は、遠藤俊郎、平島豊、桑山直也、赤井卓也である。また、歴代の講師は、岡伸夫、西嶌美知春、平島豊、桑山直也、栗本昌紀、林央周、浜田秀雄、永井正一、赤井卓也、秋岡直樹、柴田孝、堀恵美子、柏崎大奈である。遠藤俊郎は、2005年より富山県の4つの二次医療圏の基幹病院に脳神経外科医を再分配して、各医療圏でセンター化を実現した。2012年、黒田敏はデンマークからもやもや病患者を受け入れて脳血行再建術を実施した。海外から手術患者を受け入れたのは本院では初めてであったという。過去、富山大学附属病院における手術件数は年間250~320件であったが、黒田が2018年に包括的脳卒中センターを開設すると手術件数は年間450件に増加した。開設から2023年12月までの手術総数は約11,000件である。現在、特に注力している分野は、もやもや病の脳血行再建術、硬膜動静脈瘻の血管内治療、悪性神経膠腫の集学的治療、小児神経外科などである。講座の開設から現在までに約60名が学位を取得した。発表論文総数は1,800編以上を数える。「富山大学脳神経外科」がクレジットされた最初の論文は、「高久晃、甲州啓二:破裂脳動脈瘤の手術―早期手術。medicine17:2216-2220、1980」である。以降、研究内容は多岐に渡り、神経生理学、神経病理学、脳虚血、脳血管病理、脳腫瘍病理、神経救急学、高次脳機能、脳血管内治療、神経外傷などに関するものであった.現在は、黒田の指導のもと、悪性脳腫瘍の生物学、もやもや病の病態、細胞治療に関する研究などが中心である。臨床研究においては、現在、もやもや病、頚動脈狭窄症、硬膜動静脈瘻、悪性脳腫瘍に対する治療法の開発などを中心として行なっている。高久は、1984年に日本小児神経外科学会を、1992年に日本老年脳神経外科学会を、1995年に日本脳神経外科学会などを主催した。遠藤は、2005年に脳神経外科手術機器学会(CNTT)を、2005年に日本老年脳神経外科学会を、2009年に日本神経内視鏡学会を、2010年に日本小児神経外科学会とスパズム・シンポジウムなどを主催した。准教授の桑山は、2009年に日本脳神経血管内治療学会総会を主催した.黒田は、2017年に日本ニューロリハビリテーション学会を、2021年に日本脳卒中の外科学会を、2022年に日本登山医学会、WorldInternetConferenceonMoyamoyaDisease(WINC-Moya)2022を、2023年にCNTTおよび日本整容脳神経外科学会を、2024年に日本脳循環代謝学会などを主催した。准教授の赤井は、2023年に日本水頭症脳脊髄液学会を、2024年に日本小児神経外科学会を主催した。高久は1997年に富山新聞文化賞を、2009年に瑞宝重光賞、福島県県外在住功労者知事表彰などを受賞した。遠藤は2011年に富山新聞文化賞を、2015年に日本脳神経外科学会・齋藤眞賞(地域功労賞)を、2022年に瑞宝中綬章などを受賞した。黒田は、2002年に日本心臓財団草野賞を、2024年に日本脳神経外科学会・齋藤眞賞(国際賞)などを受賞した。(黒田 敏)83 脳神経外科学講座

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