医学部50周年
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富山大学産科婦人科の近年における最も大きな変化は、前教授の斎藤滋先生が富山大学学長に就任され、2020年2月に第三代富山大学産婦人科講座教授として本学出身の中島彰俊が就任したことである。コロナ感染が広がる中での就任となったが、県内の産婦人科医療機関と連携し、県内妊婦へのコロナ対策では大きな混乱はなかった。富山大学産婦人科は県周囲医療機関に多数の常勤医師を派遣してきた。過去には、東から糸魚川総合病院(所属医師最大2名)、黒部市民病院(5名)、厚生連滑川病院(1名)、済生会富山病院(3名)、富山市民病院(4名)、富山西総合病院(1名、旧:八尾総合病院から移転)、高岡市民病院(5名)、厚生連高岡病院(6名)、市立砺波総合病院(5名)、済生会高岡病院(4名)などである。その中で2024年春からの医師の働き方改革、産婦人科医不足もあり現在は分娩施設の集約化に取り組んでいる。地域に大きな影響を与えたこととして、高岡市民病院における分娩取り扱いの中止である。加えて、糸魚川総合病院においても当科からは外来医のみを派遣することに決定した(その後、病院が産科医を雇用し少数の分娩を維持している)。その結果、2024年春現在、当科のサポートする分娩施設は黒部市民病院(常勤医6名)、富山市民病院(4名)、厚生連高岡病院(6名)、市立砺波総合病院(5名)となり、糸魚川、滑川、済生会富山、飛騨市民、富山西総合、高岡市民(婦人科手術は実施している)では外来診療を行うと共に、県内の開業分娩施設の支援を強化することで県内産婦人科医療を支えている。出生数は、平成21(2009)年は約8,500人であったものが、令和5(2023)年には約5,500人と分娩数の減少は急激であり、分娩数に対応した臨機応変な対応・体制を今後も行政と共に構築していく。他方、当講座で最も力を入れていることは学生・研修医教育である。コロナ禍以降、教育体制を改めて構築し、ベッドサイドに来る前の医学生には、夏休み期間を利用した産婦人科医体験、ベッドサイドではチームの一員としての参加および実技・レクチャー指導を多数行い、産婦人科学の面白さを伝える活動を行っている。その中で、多くの学生に興味を持ってもらえるようになり、次の段階の勧誘も行っている。具体的には、ラインなどSNSへの参加を促し、年間複数回のハンズオンセミナー、働き方に関する座談会、産婦人科学会参加の勧誘およびサポート・学会中のアテンドなど教室全体を挙げて、産婦人科学に興味を持つ学生・研修医を増やし、その中で富山県の産婦人科医療を支える医師を育てる体制が構築出来ている。大学病院の責務である地域医療を支える最後の砦として、今後も地域を支える産婦人科医を輩出していく。当科はこれまで全国的には、生殖に関連する分子生物学および免疫学研究の中心的役割を果たしてきた。教授交代後も毎年1-2名の院生が入学し、研究成果を国内外学会で発表し、学会賞受賞者も輩出し、強固な研究体制を維持している。日本全体では、科学力の低下が大きな問題となっているが、当科はその中で、個々人の興味ある分野の研究テーマに取り組むことで、自分で考え自分で切り拓く力をつけることをモットーに、研究力低下の食い止めに取り組んでいる。働き方改革による仕事時間が限られた中でも、工夫することで基礎研究での成果を臨床応用に繋げる研究を行っている。実際、これまでの研究結果から妊娠高血圧症候群の早期発症予知を目指した研究を開始しており、臨床教室だからこそできるBENCHtoBED研究の推進を今後も図っていく。これまでの50年、富山大学産科婦人科学教室の先輩方の努力のお陰で、我々が県内産婦人科医療に関われる土台が築かれてきた。産婦人科は時代の転換期にあり、今後は県内に総合的女性医療の中心を担う産婦人科医を輩出する医育教室となって、県内医療を支える存在になっていく。(中島彰俊)85第2章 医学部・附属病院 産科婦人科学講座

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