富山大学 薬学部 学部案内2026
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薬袋「本方反こん丹」(※1)富山駅前「売薬さん像」売薬さんがおみやげとして客に配った売薬版画(※2)現在の富山大学薬学部※1、※2の写真は富山市売薬資料館所蔵富山流くすりのスペシャリスト― 3 0 0 年 以 上 の 歴 史 ―3富山にしかない「3つの融合」が、創造性に富み、時代の先端を歩む富山流「くすりのスペシャリスト」を育みます。場に居合わせた諸大学医学部薬学科が誕生したのに応じ医と薬の融合伝統と最先端の融合東洋と西洋の知の融合「富山の売薬さん」以来 300 年以上の「くすり」の文化が根付く街富山で心とした 薬 業 が 進 行し、富山売薬が発展してきたと伝えられています。富山売薬は、先用後利(先に薬を客に預け、使った分の代金を後でもらう)という独特の商法により、全国に広まりました。また、当時の薬はほとんどが和漢薬であり、その収集・分類や薬用に関する学問は本草学といいます。幕府は日本での和漢薬の生産が少ないので、これの国産化を目指し、奨励しました。富山藩第 10 代藩主・前田利保(としやす)公は、まれにみる本草学者であり、「本草通串」94 巻を著し、この分野の研究において大きな礎を作り上げ、富山の薬業の発展に貢献しました。 明治維新となり諸制度が改革され、医学は和漢医薬からドイツ医学へと変革していきました。明 治 19 年(1886 年)の学制大改革によって、東京帝国大て、全国的に薬学校設立の動きが盛んとなりました。富山においても、時代の流れにより西洋薬を用いる技術の必要から薬学士の養成が急務として浮上し、薬学校の設立が望まれ、明最先端の薬学を学びます。我が国唯一の和漢医薬学総合研究所との連携で東西医薬学の融合による新しい医療学体系を学びます。治 26 年(1893 年)に共立富山薬学校が設立されました。その後、官立富山薬学専門学校、(旧)富山大学薬学部、富山医科薬科大学の設置等を経て、2006 年に 3 大学(富山大学、富山医科薬科大学、高岡短期大学)の再編により現在の富山大学薬学部となりました。富山医科薬科大学時代から続く我が国随一の医学部と薬学部の強い連携で、生きた薬学を学びます。 富山に薬業が発展したのは、富山藩第 2 代藩主・前田正甫(まさとし)公が富山の売薬の基を築いたことが始まりです。 「富山市史」(昭和 35 年)によると、正甫公は天和 3 年(1683 年)に備前岡山の医師・万代常閑から秘伝薬である反魂丹の製法を伝授されました。元禄 3 年(1690 年)に、江戸城内で福島三春の城主・秋田河内守が突然の腹痛に苦しんでいた時に、所持していた反魂 丹で救い、その名がその効き目に驚き、反魂丹の行商を懇請したといいます。これをきっかけに越中富山に反魂 丹を中薬 都とやま伝統から未来へ!「くすりの富山」の薬学教育

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